試しにアニソンを聞いてみる。

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雑記:政治宗教野球、歌唱技術。

 世の中では公の場では避けた方がいい話題として政治宗教野球などと言われることがあります。恐らく曖昧な理解で各々の信じたいことを信じているという意味で共通性があり、他者と共通理解を得るのが著しく難しいという共通点があるのではないかと思うわけですが、この条件に思いのほかしっくりくる、我々の身の回りにありふれているものがもう一つあります。何を隠そうそれは「歌」です。

 歌唱に対する技術的体系的理解を得ている人がこの世にどれぐらいいるかというと、ほとんどいないと思います。歌をやったことがある人自体そこまで多くないでしょうし、何より歌をやっていたとしてもそれで技術的理解が深まるとは限らないのが歌というものが何よりも難しいところなのです。そして何より、やったことがある人でさえ理解できているか怪しいものを、歌をやったことがない人が理解するのは並大抵のことではないのです。中にはそうしたことが出来る特異な人もいます。いますけど、筆者の観察した範囲ではそういう人は本当に千や万に一人のレベルだと思います。

 僕が今まで生きて来た中で出会った数少ない、歌をやっていなかったであろうにも関わらず歌唱技術について理解のある人のうちの一人は、大学の英語科の教授でした。その教授さんは授業の中で洋楽を用いていたのですが、女性シンガーの方が好みらしく女性の英語の歌が流れる機会がとても多かったのを覚えています。そして、一通り歌を聞いた後仰るのが、「(美人だけど、アイドル歌手だけど、etc)上手いよね」という言葉でした。

 そうしてその先生は、実際に上手い歌手にしかそういう言葉をかけないのです。(とは言っても、老害みたいな発言になってしまい恐縮ですが、洋楽の歌手の方は邦楽に比べれば総じてレベルは高いです。なので、大体の歌手の方に関して先生はそういう事を仰っていたわけですが、)あの先生のあの言葉の意味を教室の中で理解できていたのはほんの一部の生徒だけだったと思いますし、それ以外の生徒は単純にこの教授老害だなーとか、そうなんだーとか思いながら聞いていたことと思います。

 さて、歌唱技術という事について本質的なことに何一つ触れないままもうすぐ千文字に到達しようかというところなのですが、なんで私が歌唱技術の具体的な、あるいは抽象的な話をしないでいるのかというと、単純に私如きの文章力、歌に対する理解力では出来ないからです。言ってみれば一種の暗黙知みたいなものだと思うのですが、歌の話というのはその領域の中でまだまだ言語化がなされていない概念が多く(言語になっていないが故に定義もないものを「概念」だなんて呼んでいいのかは分かりませんが……)、それ故に上手く言葉にならないのです。だから、歌に関して、知りたい人は己の体を使って学んでいくしかないという現状があるのです。

 以前通っていたボーカルスクールで私はそこの先生と、ある話をしたことがあります。世の中には「歌唱力」というものを信じる人が多く存在しているが、それは多くの人の中で漠然としていて、さながら宗教のようだ。そして人は「歌唱力」というものについて理解を深めたいという思いを持っていながら、それを決して実現できないもどかしさを誰しもが持ちながら、歌に関する話をするときはそのような背景を互いに持つものと仮定して、互いの領分を探りあいながら遠慮がちに話したり、あるいは歌の話をする振りをしてバックボーンだとかその他実は歌の話ではない(まあ深読みすれば歌の話なんですが、それを歌の話足らしめるためにはやはり歌唱技術に関する知識が前提になるものですし、そうした知識のない人がする歌にまつわる話は歌の話と似て非なるものなのです)ような「事実」を列挙するに留めるのだと。

 私のこうした世界観というのは、ある程度周囲の人らとの会話の中で実証されていたことだと個人的には思っていたのですが、先生は先生で余りに歌に精通した世界に存在しすぎていて、歌を聞く技術がないという事について悩んでいる人なんて見たことがないと仰ったのでした。

 今は少し事情が違うようですが、その昔はグーグルの検索窓に「女性歌手」と入力すると「女性歌手」というそのまんまなサジェストの次の2番目に「女性歌手 歌唱力」というワードが出て来たものです。(PCでこの現象を確認した直後に私は、自分の検索データが残っているのではないかと想定して、一切ネットサーフィンに使っていなかったスマホやipadの複数のブラウザで同じ事を試したのですが、結果は同じでした)だから私は、この世には歌唱力という概念を信じながらも、それがどんな姿をしているのかあまり理解していない、さながら崇拝者のような人々が多数いて、そうした人々は歌唱力とは何物なのかということについてふと考えることがあるが、その答えはこんな場末のブログを含めてどこにも載っていない、というような世の中を想定しながら日々を過ごしています。

 このブログは、以前言った通り私自身が自分の中で歌唱技術を体系化するための実験に使っているものであるとともに、こうした世界の中で少しでも自分たちの探し求めている答えに近づく為の材料を多くの人に提供したいという上から目線の考えからやっていることでもあります。私自身は歌い手と呼ばれるのもおこがましいような存在なのですが、私の母は紛れもなく歌い手をやっていました。そして私は母から歌に関する技術(特に、「聞く」という事に関するあれこれ)を日常生活の中から引き受けたのです。何を隠そう、冒頭で論った歌を歌う事もろくに出来ない(?)くせに聞くことは出来る人間とは、私のことでもあるわけです。

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 ポップスというのは自由な環境です。どんな歌にどんな文脈を見出そうが各々の勝手ですし、それに誰も文句をつける筋合いはありません。そんな環境下で歌を聞くための耳を養う人の多くは、自分が歌うために耳を養おうとするのです。何が歌唱法的に正しい歌なのかを理解していないと、目的があるはずなのにあてもなくさまよっているのと同じ事です。そう、歌を歌うという事の中で最も難しいのは、自分が「正しい」道に進むための目印を得る事、つまり歌唱に関する肉体的、精神的な技術などより、耳を肥やすことそれ自体なのです。楽器のように練習していればある程度技術的に一定の方向に収束していってある程度上手くなるというものではなく、歌というのは、まず踏み出す最初の一歩を見定めなければ、どんなに歩いて行っても見当はずれが大きくなっていって、歌唱法からのずれが大きくなっていくだけなのです。(勿論、それで成功している人はいっぱいいますし、それが好きだという人も大勢いると思います。私も歌のそういう部分は好きです。失礼な言い草になりますが、だからアニソンを聞いているという部分もあります)

 しかし、自分や自分以外の他人の歌が今どこにあるのかを明確にするための指針はあるに越したことがないというのも事実ですし、私は基本的にそうした視点から歌を聞いており、自分の中で「歌」というものをある程度体系化することに成功していると思っています。そして現にこれを読んでいるような人の多くは得体のしれない「歌唱力」なる概念への挑戦をしたくてこんなところまでやってきているのだと思うのです。だから、私は「聞くこと」が人並みに得意な分際として、それに対する説明責任をとても強く感じているのです。それが、このブログをはじめた最初の切っ掛けです。

 このブログを初めてもう2年が経過しましたが、その成果はこの世のどこかで実を結んでいるでしょうか? 口の上手いわりに本質の分かっていない喋り上手を増やしているだけなのではないかと、いやそれ以前にこのような小規模なブログで他人に影響をもたらそうなどということ自体がおこがましい妄想なのではないかと、不安に感じることもありますが、それはそれとして、自分なりにここまで歩んできたつもりです。

 今まで5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)に何度か晒されたりtwitterで炎上させられかけたりと色々なことがありましたが、コメントゼロ記録は未だに継続中です。果たしてこのブログはどこへ向かおうとしているのでしょうね? 私自身も確たることが何も言えないのですが、とりあえずここでは私が信じていることを(暴力的になったり公序良俗に反しない限り)洗いざらい書いていきたいと思っています。そんなわけで、この記事をこんなところまで読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。微力ながら皆さんの力になれればという気持ちでやっていくつもりですので、今後ともよろしくお願いします。それでは今回はこんなところで。

 

・訓練された聞き手が「歌手の技術」に対して思うべきことと、ポピュラーミュージックにおける各々の好みの話 - 試しにアニソンを聞いてみる。