試しにアニソンを聞いてみる。

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コメントを一つも貰わずにまさかの35000コンボイを達成した記念パピコ/因果と相関の違いが判らぬ各位と、それを小馬鹿にする各位について思う事。

 ダイソーイヤホンの流行に便乗する形で多数のアクセスを頂いた結果、気が付けばアクセス数が35000を大幅に上回る結果となりました。依然コメントはありません。

 まあでもここまで来ると驚きというよりは、「そらそうなるわな」という感情しか浮かんできませんよね。どの記事を読んでも正直内容に言及しづらいものばかりですし、そこでブログにコメントに残すという形になると余計な心配もあると思います(どんな文面にするかとか、どんなユーザーネームにするかとか)。

 そういう、アクセス数は最低限集まるけどコメントは一つも付かないという絶妙なバランスを維持したままこのブログは今のところ稼働しています。この均衡がいつまで保たれるかは分かりませんが、個人的には歌手の話を少しだけ更新した後で大博打を打ってみようかなと思ってます。これで人が集まらなかったらもうどうしようもないまあ大博打と言っても、ちょっと炎上するかしないか程度のものですが……

 

 さて、副題の方の話題なんですが、最近筆者のツイッター環境では大学で統計学を学ぶ人が多くなった影響か、やたらと因果と相関の違いについて言及される機会が多くなった感じがします。

 因果と相関とは何ぞやという事を簡単に説明すると、因果というのはAだからBという関係性が規定できる状態の事です。相関というのは、AだからBかは分からないがAの時Bであることが多いという状態です。本当は因果性が明確になれば相関性についてはわざわざ語る必要がありませんが、残念ながら因果性が明確になる程状況に対する解釈が明らかでないとき、相関性というロジックが扱われることがあります。特に社会科学系や人文科学系の学問で扱われることが多いです。

 さて、ここまでの説明で明らかになったことが一つだけあります。それは、相関性が成立するからと言って因果性が成立するとは限らないということです。(もっとかみ砕いていうと、AのときBであることが多いからと言って即AだからBが導けるとは限らないということです)

 

 これとは別の問題として、A→Bの時B→Aとは限らないということもまたよく論われる論点です。こちらはよりシンプルで、女ならば人、トヨタならば車(?)ですが、人ならば女、車ならばトヨタとはならないということです。

 

  さて、これらの何が問題なのかというと、この二つの論点が合体して、Aの時Bであることが多い/故にAの時Bだ/従ってBの時Aになる、という論法が世の中にはたくさんあふれているということです。

 

 

 ではこの論法が必ずしも間違っているかというと、筆者はそうは思いません。上記では触れませんでしたが、例えばAの時Bであるという関係が成立しているとき、AとBの規模が変わらないのであればBの時Aであるも実は同時に成立します(わけが分からない人は試しにベン図を書いてみましょう)。また、相関性と因果性についても、相関性が成立するとき因果性もまた成立することがとても多いのが実態なのです。

 こうした実態を反映せずに、ただ「因果と相関の区別がついていない」「A→BのときB→Aとは限らない」だのと騒いでいても、状況は一向に良くなりはしません。確率的な問題を定量的な問題にすり替えているのは、実はそうした論者たちの方であって、そうした論者たちは確率的な判断を下している側の人間は確率の世界にいる限りでは別に何も間違ったことをしていないということを改めて認識する必要があるのではないかな、と個人的には思っております。

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 このように、相変わらず地味なブログですが、今後ともよろしくお願いします。